イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

自意識過剰の苦しみから無我の境地へ、ピランデッロの小説と庭のヒヤシンス・スノードロップ

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 1月27日に雪山からの帰り道、車内で聞いたラジオの放送がきっかけで読み始めたイタリアの文豪、ルイージ・ピランデッロ(Luigi Pirandello)の小説を、先週読み終えました。



 『Uno, nessuno e centomila』という題名は、日本語に訳すのが難しいのですが、英語だと『One, no one and one hundred thousand』と直訳して、そのまま意味が通じます。

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 「あなたの鼻は一方にゆがんでいるわよ」という何気ない妻の一言をきっかけに、主人公は、あきれるほどまでに「自分とは何ぞや」についてあれこれ考えて思い悩みます。

 「なんということだ、わたしがこれこそ自分だと考えている自分の姿と、他人がわたしをこういう人間だととらえている姿は異なってるのか。しかも、十万人の人がいれば、その十万人がそれぞれにわたしとはこういう人間だと認識している姿や人柄が存在するわけだから、十万通りのわたしがいるということなんだ。」

 主人公はなんとかして、他人が見る自分の姿を我が目でとらえようとするのですが、鏡を見ても写真を見ても、鏡を見る時点、写真に撮られることを知った時点で、自意識が入り込んでしまうために、他人が見る自分の素の姿とは別物であることに気づきます。主人公は高利貸しであった父親が亡くなったあと、仕事は父親の代からその補佐をしていた二人に任せて、その収入で妻と暮らしていたのですが、人からどんなふうに見られているかを意識しすぎるようになり、「あいつは高利貸しだ」という世間の自分に対する認識や、妻や高利貸しの仕事に携わる二人の自分に対する認識を覆そうと躍起になります。

 挙げ句の果てに、「高利貸し」というレッテルから解放されようとして、高利貸しは廃業にすると仕事を担当する二人にも妻にも言い渡します。その結果、それでは困る二人や妻が高利貸しを続けるために主人公が正気を失ったことにしようと画策していることを、妻の長年の友人である女性と会って知るのですが、二人がいい仲になりそうというところで、この女性が主人公を銃で撃ちます。そういう思わぬ展開があったために、自分は気が違っていないことを証明してもらおうと相談していた教区司祭の判断によって、主人公は「高利貸しをやめて、貧しい人たちが暮らすことができる施設を作り、その施設を運営していくために全財産を寄付する」ことになります。

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Perugia, Umbria 10/3/2024

 他人が自分の容姿をどんなふうにとらえているか、自分という人間をどう考えているか。主人公がただそれだけを事あるごとに思い悩む、その懊悩ばかりが小説全体の最初の3分の2、あるいは4分の3でつらつらと語られています。鏡を見るときや写真の撮影に臨むときには、もうそこで鏡に映る自分や写真に写る自分は、他人が見る自分ではなくて、自分が自分を意識した上での写真になってしまうという考察は、おもしろいなあとは思うのですけれども。人が自分をどう思うだろう、人の目に自分の姿はどう映るのだろうということは、あらゆる人が気にするところではあると思いますが、それにしても自意識が過剰で話が前に進まないなあと思って読んでいたら、特に妻の友人である女性が登場してから、あれよという間に話が次々と思わぬ方に展開していくので驚きました。

 そうして最終的に、自分を撃った女性を無罪とするために、教区司祭の言葉に従った主人公は、すべてを失って何者でもなくなったおかげで、その日その日に生まれては死んでいくような心持ちで、自分自身にとってさえ「これが自分だ」という意識を持って悩むことなく、周囲の風景や自然を細やかにただ観察して感じ、自分もその大いなる宇宙や自然の中の一部なのだという姿勢で生きていくこととなり、豊かな暮らしや家族は失っても、悩むこともとらわれることもない自由な境地で生きていくようになります。

 おそらくはこの作品を読まれる方はあるまいと、筋をざっと書いてみました。

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 ピランデッロの作品は、いくつかの小説や戯曲についてはイタリア文学の授業で学び、小説、『Il fu Mattia Pascal』を読んでおもしろいなあと思ったのですが、そう言えば、『Il fu Mattia Pascal』も、主人公の運命や筋が奇想天外で、けれども物語全体を通して、社会や人というものについて読み手に深く考えさせます。



 人の目ばかり意識したり、自分のことばかり考えていないで、もっと目を他の人や大いなる自然や社会に向けること、その中の自分なのだと考えて肩の力を抜くこと、一方では社会に対して責任を持つことの大切さ、そういうことをこの小説から教わったように思います。

 ペルージャでは今日も朝からずっと雨が降り続けました。写真は、昨日庭に行ったら花がすべて開いていた、種から育ったヒヤシンスの花と、花壇のスノードロップのつぼみです。小説の最後のページの自然描写、情景描写が細やかで、夜明けの空の様子や目に入る草の色などを繊細にとらえて述べる様子が、それまでの数百ページとはがらりと変わっていて、その夜明けの描写に、ふと『枕草子』の「春はあけぼの」が重なったほどです。意識を変える、とらえ方を変えることによって、目に映る風景やそれを感じる心も変わっていくということを、それまでとの叙述の違いで作者は表現しようとしたのでしょうか。そんなふうに最後の2ページに、自然に注がれる視線と心が描かれているので、この花の写真を載せてみました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by katananke05 at 2024-03-12 18:24 x
少し哲学的な方向性の小説ですね〜
たしかに自分が自分を認識している姿と、(外見も含め)
他人から見た「あたくし」に
ギャップがあること 多しですが、、はあ そうみえてるのか、、と
面白く興味深く捉えてそれもたのしむ、、くらいな 感じでちょうど
いいのでしょうね〜

ヒヤシンス タネからも増えるというのが 面白い〜てっきり 球根の分球しか 増えにくいとおもってましたよ〜
Commented by milletti_naoko at 2024-03-12 18:46
katananke05さん、そうなんです。
哲学的というか内省的というか、そういう考察がえんえんと
続いて辟易したのですが、そのあたりと最後の2ページでは
叙述も描写も考えや感じ方もがらりと違っていて、そこへと
行き着くための手法でもあるのだろうかと思いました。
人から見える自分を意識しすぎるということで、前半では
太宰治の『人間失格』を思い出しながら読んだりもしました。
こういう意識の転換ができていれば、太宰にしても芥川龍之介
にしても、人生を生き抜くことができたのではないかなど
とも思いながら。

このヒヤシンスにはわたしも驚きました! 11年前に植えた球根から
毎年咲いていた花の種がいつしか飛んで、そうして花が咲いたのでしょう。さて、来年も花が咲くのかどうかが機になるところですが、やっぱり
この花の球根も他の花といっしょに花壇に植えてやったほうがいいような、
種が選んだこの場所にそのままにしておくのがいいような……

オリーブの木の前に咲くヒヤシンスも風情があるのですが、わたしたちや
猫たちが踏んでしまわないとも限りませんし。
Commented by koito_hari616 at 2024-03-14 14:15
こんにちは

難しいお話ですね
内省的と言いますかこれからの残りの人生を有意義に過ごしたいと思います
今は、四旬節でもありますが「自分は?なに?」と
考える事があります
そして、ヒヤシンスやスノードロップスなどの花々が咲いている情景が
本の主人公を慰めているのだなぁ。。。と
やはり、イタリアだと思いました
根底にキリスト教カトリックが根付いているのだなぁと思いました
そのように、考えが変わる聖人たちも多いですね
Commented by milletti_naoko at 2024-03-14 19:01
結うさん、こんにちは。
そうなんです。わたしもふと、聖フランチェスコや聖パウロが
人生や生き方をがらりと変えたことをふと思いました。
この小説では、そうやって愛や神や平安を求めようとすることが目的ではなく、
なりゆきによって、あるいはそれも運命だったのでしょうが、そういう状況に
置かれることで、主人公がすべてを手放すことで心の平安を得るというおちに
なっているところがおもしろく、またあまりの変化に驚きました。
by milletti_naoko | 2024-03-12 06:35 | Film, Libri & Musica | Comments(4)