仕事が忙しくなって読みさしていた『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』の下巻を、ようやく仕事が一段落してから再び読みはじめたものの、その主人公や息子たちの運命を歴史や文学を通して知っているために、あと百数十ページを読み進む気になれず、

しばらく前から別の本を読んでいます。
2013年2月にアッシジの聖フランチェスコにゆかりの深い修道院が四つ建つ、
ラッツィオ州リエーティ県の聖なる渓谷を訪ねたとき、その修道院の一つであるポッジョ・ブストーネの修道院で、修道士の方から頂いた本です。
Santuario di Poggio Bustone, Poggio Bustone (RI), Lazio 15/2/2013
その修道士の方ご自身が書かれた本で、わたしたちに贈ってくださったのは、修道院の土産物屋で夫が買い物をしたためかもしれませんし、夫がポッジョ・ブストーネからアッシジへと巡礼をして歩いたことを、そのときに話したためかもしれません。
同じ塩野七生さんの歴史の本で、主人公がやはり非業の死を遂げた小説も、旅行先の海辺や宿の部屋で日の高いうちであれば読み終えることができたのですが、夜寝る前に読もうとすると読めないのです。
『Tracce di vita』という題名をどう訳すべきかは、収録されたすべての物語を終えて初めて分かるように思うのですが、今は「人生の軌跡」という意味だろうかととらえています。心穏やかに読めそうな本はないかと、本棚に並ぶ本の中から探していて、この本を見つけて、これなら大丈夫だろうと読み始めました。

最初の物語を読み始めてしばらくは、おもしろくて先が気になるので夢中になって読みました。わたし自身がイタリアのあちこちで野山を歩いたりたそがれてゆく空の変化を眺めたりしていることもあり、風景や自然の描写も楽しむことができます。
最初の物語で、自然と孤独を愛する主人公がようやく心穏やかに暮らしていける住まいや友人を得て、幸せになったかと思ったら最後には若くして亡くなったので、フェデリーコ2世(イタリア語ではFederico IIと言うので、わたしにとってはフェデリーコ2世なのです)やその息子たちの苦境と最期を読むのを避けるために他の本を読み始めたのに、結局はそうして手に取った本でも死に出会ったのでありました。

予告された死神との出会いを避けて別の場所に行ったのに、結局はその行った先で死神に出会ったという、遠い昔に読んだ寓話を思い出しつつ、実際の人生でも本や映画の世界でも、苦境や死というのは人生と切り離せないものなのだと改めて感じました。

書かれたのが修道士さんということもあって、人生の教えを意図的に盛り込みすぎかと感じることもあるのですが、今読んでいる物語では、主人公がかつて訪ねたことがあるモンサンミシェルを訪ねていて、わたしたち自身の旅や美しい風景、修道院を思い出しながら、楽しんで読んでいます。
この1冊をすべて読み終えたら、覚悟を決めて日の高いうちに、フェデリーコ2世の生涯も読み終えようと考えています。↓ 記事がいいなと思ったら、ランキング応援のクリックを♪

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