
日曜の夕方、旅立つ友人たちを見送ったあと、山の家から
テッツィオ山(Monte Tezio)を少し登り、
Monte Tezio, Perugia, Umbria 27/4/2025
上の写真の見晴らしのいいところまで歩きました。
左手下方に見えるのはプロコーピオ城(Castello di Procopio)、右の奥に霞んで見える横に長い台形の山は、アッシジを中腹に抱くスバージオ山(Monte Subasio)です。その手前にはテベレ川(Fiume Tevere)が流れる平野が広がっています。
細長い線香のような枝がいくつも上に向かって伸びているのはエニシダ(ginestra)で、

花の盛りが5月なので、地方によってはエニシダを「5月」を意味するmaggioと呼ぶところさえあります。
このあたりは日当たりがいいからでしょう、緑の枝ばかりが目立つ中、もう黄色いつぼみや花が見えるエニシダも、わずかながらありました。
Serrapetrona (MC), Marche 29/4/2025
一方で、4月に花の盛りを迎えた藤(glicine)は、花の季節が過ぎつつあります。昨日訪ねたマルケ州の山あいの村、セッラペトローナ(Serrapetrona)で、花を見られてうれしかったです。
4月23日の夜にレンツォ・コッキ(Renzo Cocchi)著、『Tracce di vita』を読み終えて、昨日、4月29日火曜日の夜から、しばらく読みさしていた塩野七生著、『フリードリッヒ二世の生涯』を、再び読み始めました。
『Tracce di vita』に収録された3作品の最後の物語の題名が「Il Glicine e la Ginestra」、「藤とエニシダ」だったので、ローマに暮らし詩文を書き愛する若者の日々を語っているのに、どうしてこの題名なのだろうと不思議に思いながら読み続けました。
Roma, Lazio 26/6/2016
イタリアでは復活祭(Pasqua)の翌日が天使の月曜日(Lunedì dell'Angelo)という国民の祝日で、俗にパスクエッタ(Pasquetta)と呼ばれ、野山に出かけて屋外で食べる慣習があります。
その前々日の土曜の夕方から体調を崩して床についていたわたしが、「藤とエニシダ」を読んでいたら、主人公のロレンツォがカステルサンタンジェロ城の前にかかる天使の像が並ぶ橋で、イエスの磔刑に用いられた釘を左手に持ち、右手を掲げる天使の像を見て、「我々人間がどんなに罪業深くとも、神は許し慈愛深く見守り続けてくださるのだ」と、心安らぐのを覚えるという場面がありました。
そこで、この日は朝食のあと起き出していた間に、その釘を持つ天使の像をかつて撮影した写真の中から見つけ出して、「天使の月曜日」という題でブログの記事を書こうと考えたのですが、頭を使ってまとまりのある文を書く元気がなかったので、土曜にオルヴィエートで見た藤と椿の写真に少し言葉を添えて投稿し、その後フランチェスコ教皇が亡くなられたことを知って、翌日は、「ありがとう フランチェスコ教皇」を書いて、この写真はせっかく探し当てたものの、使わぬままになっていました。
Serrapetrona (MC), Marche. 29/4/2025
閑話休題。「藤とエニシダ」という題名は、ロレンツォとその兄、ダンテの相反する人となりを花に託して表したものであることが、物語が最後に近づくにつれてわかりました。
上へと枝を伸ばして、宙に花を咲かせて風に揺れる藤の花のように、詩や文学を愛し、理想を夢見て、堅実な職業には就かず、町をさまよい、机に向かって想像をめぐらせては書き続けるロレンツォと、地面にどっしりと根を下ろして花を咲かせるエニシダのように、自らの日々の仕事を粘り強くこなしていくダンテ。
親がロレンツォの方に目をかけて愛していたと感じ、嫉妬を感じていたダンテが、ロレンツォを侮辱し遠ざけたために、ロレンツォは苦しむのですが、ロレンツォはたまたま、あるいは運命的に出会った高齢の女性が「あなたは詩人で才能があるのよ、わたしはやはり詩人だったわたしの夫を愛して信じ、支え続けたように、あなたの才能を信じ続けるわ」と言ってくれて、その言葉と暖かさに大いに励まされ、また創作のためのヒントも授かります。

高齢の女性のおかげで自信と創作意欲を取り戻したロレンツォはやがて最初の作品を出版して世に認められ、兄とも和解をします。
昨日、セッラペトラーノでは、もう季節が過ぎたかと思っていたセイヨウハナズオウ(albero di Giuda)がまだ美しく咲いていて、木の下に敷き詰められた花びらもきれいでした。
物語を読みながら、改めて、いろいろな花があって、花ぞれぞれの魅力があるように、人にもいろいろな人がいて、それぞれの性質や才能があって、だからこそ世の中はおもしろいのだと感じました。
ロレンツォがたまたま市場で出会い、親しみを込めてNonna Monicaと呼び、その亡きあともその存在のおかげで生涯にわたって自信と安らぎを得ることができた高齢の女性との交流に、「袖触り合うも他生の縁」ということわざの奥深さと真実を改めて思い、だからこそ、出会いを大切にし、また、何かの縁で出会うことになった人にもできるだけ親切でありたいと感じました。
せっかく本を読んで何かを感じたり学んだりしても、書き残しておかないとつい忘れてしまうものだと、ブログの過去記事を読み直して思うことがよくあります。というわけで、読後しばらく日が経ちましたが、忘れてしまわぬうちにと、読んで感じたことをここに記しておきます。↓ 記事がいいなと思ったら、ランキング応援のクリックを♪

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